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東京地方裁判所 平成5年(行ウ)26号 判決 1997年5月09日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

中川明

大沼和子

飯田正剛

清水勉

小野晶子

被告

町田市教育委員会教育長

米田彰

右訴訟代理人弁護士

石津廣司

右指定代理人

矢内邦夫

主文

一  本件訴えのうち別紙「作文処分一覧表」記載の作文の非開示決定処分の取消しを求める部分を却下する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  原告

被告が平成三年一二月一二日付けでした「甲野花子の死について説明した後生徒に書かせた作文のうち甲野花子にかかわるもの」の非開示決定処分を取り消す。

二  被告

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 本件訴えのうち、別紙「作文処分一覧表」記載の作文に関する部分を却下する。

2  本案の答弁

本件請求を棄却する。

第二  事案の概要

一  本件は、中学校二年生の女児を自殺によって失った原告が、その死の理由等を知りたいとして、町田市個人情報保護条例に基づいて、同女の通学していた中学校の生徒が同女の死について作成した作文の開示を求めたところ、これを開示しない旨の決定を受けたため、右決定の取消しを求めるものである。

二  当事者間に争いがない事実及び証拠によって容易に認められる事実等

1  町田市個人情報保護条例(平成元年三月三一日条例第五号、以下「本件条例」という。)等の内容

本件条例は、市民が自己に関する個人の情報の主体であることにかんがみ、市民の自己に関する個人情報の開示、訂正、利用の中止等を求める権利を保障するとともに、個人情報の適正な取扱いを確保することにより個人情報を保護し、もって市民の基本的人権の擁護と、市民の信頼に裏付けられた人間尊重の市政を実現することを目的とするものであり(一条)、個人情報とは、個人生活に関し特定の個人が識別され、又は識別され得る情報で、文書等の媒体に記録されるもの又はされたものであり(二条一号)、個人情報を収集又は保管し、利用する機関としては実施機関があり(三条)、教育委員会は実施機関とされている(二条二号)。

また、市民は、実施機関に対し、実施機関が管理している自己に関する個人情報の閲覧、視聴及び写しの交付を請求することができるものとされ(二〇条)、その例外としては、法令の規定により開示ができないもの(二一条一号)及び公益上、非開示が要請されるもの(同条四号)のほか、個人の評価、診断、判定、指導、相談、選考等に関するものであって、本人等に開示しないことが明らかに正当であると認められるもの(同条二号、以下「二号情報」という。)、開示することにより、実施機関による公正な職務執行が著しく阻害されるおそれのあるもの(同条三号、以下「三号情報」という。)が掲げられている。

また、教育委員会は、教育委員会規則の定めるところにより、その権限に属する事務の一部を教育長に委任することができるところ(地方教育行政の組織及び運営に関する法律二六条一項)、町田市教育委員会教育長に対する事務委任規則(昭和三三年七月八日教育委員会規則第九号)一条により、町田市教育委員会(以下「市教委」という。)の個人情報実施機関としての事務は被告へ委任されている。

2  当事者等

(一) 原告は、町田市に住所を有する者である。

亡甲野花子(以下「亡花子」という。)は、原告の二女であり、平成三年九月当時、東京都町田市立つくし野中学校(以下「つくし野中学校」という。)第二学年に在学していたが、同月一日午後七時三五分ころ、東京都町田市南成瀬一丁目先のJR横浜線成瀬駅下り線線路上に自ら体を横たえて、通過する電車によって轢死した(この事件を以下「本件事件」という。)。

(二) 被告は、本件条例二条二号に規定する実施機関である市教委の事務の委任を受けた者である。

3  経過

(一) つくし野中学校では、平成三年九月一一日、亡花子の自殺に関する二年生の全体集会が行われ、引き続き二学年生徒二五二人が作文を書き、各担任に対して提出した。

また、一学年生徒は同月一八日に、三学年生徒は同月二一日に、それぞれ学年集会の後に作文を書き、一年生については二五九通、三年生については二八八通(この点につき、原告は二九〇通と主張するが、後に検討するとおり二八八通と認められる。)が提出された。

(二) 原告は、平成三年一一月三〇日、個人情報開示請求の本人として被告に対して、個人情報記録の件名又は内容を「甲野花子の死について説明をした後生徒に書かせた作文のうち甲野花子にかかわるもの」として、個人情報の開示(写しの交付)を請求した(この請求を、以下「本件開示請求」という。)。

(三) 被告は、平成三年一二月一二日付けをもって、原告に対して、「町田市個人情報保護条例第二一条第一項第二号及び第三号に該当。作文は生徒個人の心情や思想を綴ったものであり、開示することは、作品を書いた生徒のプライバシーを侵害することになる。また請求者本人の情報が記載された部分であっても開示することは、生徒の信頼を損なうこととなり、教師の信頼が失われ学校における公正な職務執行が著しく阻害されるため。」との理由で、請求に応じない旨の決定(以下「本件決定」という。)をし、その旨を通知をした(甲二号証)。

(四) 原告は、本件決定を不服として、平成三年一二月一四日、市教委に対して、不服申立てを行ったが、市教委は、町田市情報公開、個人情報保護審査会(以下「審査会」という。)の答申を得た上、平成四年一〇月二七日、原告の申立てを棄却する旨の決定をし、同日、原告は、その決定書の送達を受けた。

(五) 被告は、別紙「作文処分一覧表」記載のとおり一学年生徒の作文二五九通及び三年E組を除く三年各組の生徒の作文二五一通は生徒への返却又は焼却により現存しないと主張している(以下、返却又は焼却されたという作文を「本件第二作文」と、その余の作文を「本件第一作文」と、両者を併せて「本件作文」という。)。

三  争点

1  原告の開示請求権の存否(原告適格)

2  本件作文の二号情報及び三号情報該当性

3  本件第二作文の存否(訴えの利益)

四  争点に関する当事者の主張

1  原告

(一) 原告適格について

親の子に対する監護及び教育の権利義務(民法八二〇条)は憲法一三条、二六条に裏付けられるものであり、子に対するコントロール権の内容には、学校の選択、教育内容の選択及び教育過程への参加並びにわが子に関する教育情報の開示請求権が含まれ、教育の委託という観点からは、受託者である学校に対する報告請求権(民法六四五条)があるということができる。親が子の教育情報の開示請求権を有することはアメリカ合衆国、フランス、ドイツにおいても認められていることである。

そして、子の生命、身体、精神に関する教育情報は、親の存立、自己実現に関わる情報である。したがって、本件開示請求は、原告自身の自己情報の開示請求というべきである。

(二) 本件作文の性質について

次の②③に照らせば、本件作文を原告に開示することによって、つくし野中学校と生徒との信頼関係を損なうおそれはなく、また、いじめに対する教育的配慮としては、事実を明らかにすることがまず重要であって、亡花子の自殺の原因を調査し、それを原告に知らせることはつくし野中学校のなすべき職務であり、さらに、原告の自己情報コントロールの権利との対比においても、本件作文を非開示とすることに正当な理由はない。

① 本件作文が亡花子の自殺の原因を解明するための調査文書であったことは、亡花子の自殺の原因がつくし野中学校二学年生徒によるいじめにあるとの情報を入手した原告が、平成三年九月五日、つくし野中学校島田校長に詳しい調査を依頼し、同月七日、原告方における島田校長、岡田教頭並びに富岡、藤、古屋及び桜井の四教師と原告との会談の際、教師の一名が「生徒に作文を書かせて事実を把握してみる。」旨の約束をし、島田校長もこれに同意した後に生徒に書かせたものであること及びいじめの事実調査の方法として生徒に作文をさせることは、広く行われ、推奨されていたことに照らして、明らかである。

そして、生徒は本件作文の目的が事実調査にあること、又はその趣旨を担任教師から説明されていたものと解されるから、訴訟資料としての陳述書等と同様、他への開示、少なくとも亡花子の遺族への開示が禁じられるべきものではない。

② 本件作文は、作成者の感想、心情といった個人情報ではなく、亡花子の死の真相について知っている事柄を記述したものであって、作成者のプライバシーを内容とするものではないから、作文を書いた生徒のプライバシーは非開示の理由とはならない。

また、作文の校内文集等への掲載は著作者の同意なくして行われていることからすれば、少なくとも、担任教師及び学校関係者の目に触れることを前提としていたものである点で、一般の著作物とは異なるものである。

③ 本件作文は、亡花子の死を悼み亡花子に捧げる追悼文として作成されたものであり、作文の作成者の感想を述べた部分があるとしても、それは副次的なものであるから、この作成目的に照らせば、本件作文を書いた者は全体として、亡花子の遺族である原告がその内容を了知することを少なくとも黙示的に同意していた。

(三) 本件第二作文の存在について

次の事情に照らして、本件第二作文は存在する。

① 原告が本件作文の開示を請求した平成三年一一月三〇日当時及び本件決定時である同年一二月一二日当時、本件作文がすべて存在することが当然の前提とされていた。

② 被告及びつくし野中学校校長は、原告の不服申立て後の平成四年四月二八日に至って、一学年及び三学年生徒が書いた作文が既に生徒に返却済みである旨の報告をしたが、同年六月二四日には、本件第二作文中、一学年七学級のうち六学級については平成四年三月二四日ないし二五日に生徒へ返却し、一学級については平成三年一〇月半ばに焼却し、三学年八学級については同年一〇月半ばに焼却した旨の訂正報告を行い、原告の調査により三年E組の作文が保存されていることが判明した後において、在籍者数を訂正し、更に、本訴提起後の平成五年五月に至って、三学年F組以外の生徒の作文の各焼却時期を本件決定後の原告が不服を申し立てている平成四年三月に焼却したと訂正するに至ったことの経過に照らして、つくし野中学校は本件第二作文をなお隠匿しているものと推認すべきである。

③ 本件第二作文も本件第一作文と同様に亡花子の死に関する調査文書であるところ、被告は、本件第二作文によって判明する事実がつくし野中学校及び被告の責任を認める結果となることから、存在自体を否定しているものであり、①②の事情、すなわち、開示請求の直前に焼却したと主張し、その合理性が疑わしくなるや、返却又は焼却の時期を変更すること等の不合理さに照らせば、本件第二作文が存在することは明らかである。

2  被告

(一) 原告適格について

本件条例は、市民の「自己に関する個人情報」の開示請求権を与えたものであり、死者に関する情報の保護によって遺族等の第三者の権利、利益を保護することを目的とするものではないから、亡花子に関する情報を原告の個人情報に含ませることはできない。したがって、原告には本件条例による開示請求権はなく、本件決定により原告の権利利益が侵害されるものではないから、原告適格を欠くものである。

(二) 本件作文の性質について

次の事情に照らして、本件作文は、生徒指導に役立てる趣旨で作成させたものであって、これを開示するときは生徒と教師の信頼関係を損なうおそれのあるものであるから、二号情報(「個人の評価、診断、判定、指導、相談」に関するもの)及び三号情報(開示することにより、実施機関による公正な職務執行が著しく阻害されるおそれのあるもの)に該当し、本件作文は、作文を書いた生徒自身の個人情報であるから、そのプライバシーの観点からも開示しないことが明らかに正当であると認められる。

① つくし野中学校二学年生徒の作文は、亡花子と同学年の生徒の本件事件による動揺を除くため、死という厳粛な事実に直面して、生命の大切さや生き方、在り方を考えさせることを目的として、強く逞しく生きるよう願って、本件事件による衝撃をどのように受け止め、人の生死についてどのように考えているかを率直に表現させて、生徒指導に役立たせ、同時に、各自の心情を文章化させることで気持ちの整理を図らしめようとしたものである。右作文に当たり、二年B組の桜井教諭は、「本件事件や人の生死に関する感想」、に加えて、「本件事件に関して知っていること、見た事実」についても書くよう指示しているが、他のクラス担当は、前者を主題として、記名式で作文を書くように指導している。

また、一学年は、亡花子とは別の学年であったが、本件事件に関するテレビ報道等に接しての動揺を除くため、平成三年九月一八日、学年集会を行い、その後、各クラスで「本件事件や人の生死に関する感想」を書かせたものであり、D組は無記名式であったが、その余のクラスは記名式で作文を書かせた。

そして、三学年は、修学旅行中に本件事件の右テレビ報道等に接したことから、右旅行終了後の平成三年九月二一日、学年集会を行い、その後、各クラスで無記名によることも認めた上で「本件事件や人の生死に関する感想」を書かせたものである。

したがって、本件作文は、教科指導としての作文ではなく、生徒の生活指導に役立てる趣旨で作成させたものであり、条例二一条一項二号の「個人の評価、診断、判定、指導、相談」に関するものである。

② 本件作文は、事実調査のためでも亡花子の追悼のためでもなく、生徒の心情の整理及び内省のためのものであり、そこに亡花子に関する事実が含まれるとしても亡花子あるいは原告の個人情報と解すべきものではなく、かかる作文を教育関係者以外の者に公開することは、生徒と教師との信頼関係を破壊し、今後の同様の生活指導を著しく阻害することになる。

③ 本件作文は、作文をした生徒自身の著作物であり、著作者の同意なくして開示することはできない(著作権法一八条一項)。

(三) 本件第二作文の存在について

本件第二作文の処分経過は別紙「作文処分一覧表」のとおりであり、既に返却又は焼却され、被告が現に保管するものではなく、仮に本件決定が取り消されても、開示することは不能であるから、原告には、本件第二作文について本件決定の取消しを求める訴えの利益がない。

右文書の存否に関する報告の訂正経過は次のとおりである。

① 原告の本件開示請求は、被告から個人情報保護管理責任者である島田校長に連絡され、各教員に連絡されたが、いずれの者も、原告が亡花子の自殺の原因として二学年生徒の交遊関係を問題とし、つくし野中学校に調査を依頼したのも右の点であったこと等から、対象文書が二学年生徒の作文であると理解し、それについてのみ保管措置をとり、右誤解に基づいて、島田校長は、被告に対して開示請求の対象文書が存在すると回答し、これを前提に本件決定がされた。

② つくし野中学校としては、平成四年六月に本件開示請求の範囲が一学年及び三学年の全作文に及ぶことを知り、星校長は、直ちに一学年及び三学年の作文の調査をし、一年D組の作文は無記名であったこと、三学年の作文は無記名のものがあったほか、生徒が卒業していたため、返却措置を取らず平成四年三月の学年度末に焼却し、その余を返却したとの認識に達したが、本件開示請求後に焼却したということは穏当でないと考え、審査会に対しては、本件開示請求前の平成三年一〇月ころに焼却、廃棄した旨の虚偽の報告を行った。

さらに、その後、三学年の作文の保管について照会があり、調査の結果、三年E組の作文は担任教師が保管していることが判明し、その旨を審査会に報告した。

また、在籍者数については、当初の報告が転校生徒二名を計上していたことから、平成四年九月四日、市教委を介して、審査会に報告を行った。

③ 本訴提起後の平成五年五月七日、星校長は、真実を明らかにすることとして、市教委に対して焼却時期の訂正の報告を行った。

第三  争点に関する判断

一  個人情報の意義について

本件条例によれば、個人情報とは、市政に係わる機関が取得し保管する個人に関する情報であって、個人生活に関して特定個人が識別され、又は識別され得るものであって、当該情報については訂正あるいは利用の停止を求め得ることも予定されている。

そうすると、ここでいう個人情報は、第一に、情報の内容において、一般に他人に知られたくない情報、いわゆるプライバシー情報に限定されるものではないが、個人生活に関するものであり、第二に、利用又は訂正の対象となる事実に関する情報であり、第三に、実施機関において情報として管理しているものであるということができる。この観点からすると、学校における児童生徒の学習、活動等は、社会生活の主体となる前の個人生活を構成する学校生活に関するものといえるから、これらに関する情報は個人生活に関する情報ということができる。しかし、特定の個人の言動又は性格等に関する評価については、それが評価権限を有する者によるときは、学校教育において利用、管理する情報ということができるが、単なる噂、評判、毀誉褒貶に属するときは、実施機関としては噂、評判、毀誉褒貶に係る事実を真実として把握するものではなく、そのような噂等を認識した生徒が存するという事実あるいは右生徒の認識内容として管理されていることになるから、これらの情報については、作文を書いた生徒の教育情報といえても、当該記載内容に係る個人については右の第二、第三の情報に該当しないものもあり得るものというべきである。

すなわち、児童生徒が学校において作成する作文は、特定人の言動等の事実を含むものであったとしても、作文の目的が教科指導にあるときは右事実の真否が情報として管理されるものではなく、また、作文の目的が生活指導にあるときでも、一般的には、その情報は、実施機関が取得、保管、利用しようとする特定人に関する事実を表示した情報というよりも、作文の作成者がある事実を認識し、評価したことを示す情報であって、その情報は当該記載事実の主体とされた特定人の個人情報であるという前に、作成者の認識、評価を示す作成者の個人情報というべきものであり、作文の目的達成後は、作成者への返却又は廃棄等の相応の処理を行うことが予定されているものというべきであるから、実施機関が情報として取得、保管、利用することを予定するものでもなく、訂正の対象となるものでもないということができる。

その意味で、本件作文は、亡花子の個人情報ではないとの被告主張(平成九年三月一一日付け被告準備書面第三、二、2、3)は、検討を要する見解と考えられる。

しかし、本件決定は、本件作文が存在するとの認識の下に、本件作文中の亡花子にかかわるものの中には亡花子の個人情報が含まれるものとして、二号情報及び三号情報の該当性を検討したものであり、本件作文の中に、右に検討した意味における亡花子の個人生活に関する事実情報が含まれている可能性も否定することはできないので、以下では、本件作文中には亡花子の個人生活に関する事実情報を含むものが存在するとの前提で、検討をすすめることとする。

二  原告適格

本件訴訟の原告適格について検討するに、処分取消しの訴えについて原告適格を有する者は、当該処分の相手方(名宛人)であるところ、本件決定が請求人である原告に対してなされたことは争いがないから、本件決定の取消しの訴えにつき原告適格を有する者は原告というべきである。

なお、処分の名宛人であっても、そもそも、当該処分の申請人となり得ない場合には、当該処分を取り消しても、改めて処分を求める利益はないということになるところ、本件条例によれば、開示請求の対象となるのは請求者の個人情報であるから(二〇条)、当該個人以外の第三者がその情報の開示を請求することはできない。そして、この点をとらえて、被告は、原告には亡花子に関する情報の開示を請求する資格がないと主張する。

たしかに、個人の人格の独立性の観点からすれば、自我の萌芽がない幼児を除き、子の個人情報は親の個人情報と区別されるべきであり、子の独立の人格を認める以上、親といえども子の秘匿する情報に介入しないことが相互の信頼の基礎とされるものといえる。しかし、子が親の監護、養育の下に置かれ、社会的にも親が監護、養育の権利を行使することが期待される場合においては、子の対外的言動は監護、養育を行うべき親に対する評価の基礎となる親の個人情報というべき側面をも有するのであり、また、子の交友関係等は、本来的には子の判断に委ねられつつも、なお監護、養育権者としても当然に認識しておくべき事項というべきであり、また、子の固有の情報であっても、子の死亡によって当然にその個人情報の主体が消滅するものと解すべきではなく、子の個人情報が当該家族共同体の社会的評価の基礎資料となるものはもとより、家族共同体の一員として関心を持ち、その情報を管理することが社会通念上も当然と認められる情報については、家族共同体構成員の固有情報と同視することができる場合があるというべきである。

この点を本件についてみるに、本件では、つくし野中学校二年次に在籍した亡花子の自殺の後に主として亡花子の学校生活に関して記載された情報について、亡花子を監護し、養育し、また、亡花子の家族共同体の中心となっている亡花子の父が請求するものであるから、亡花子の個人情報というべき情報が存在するとすれば、これは請求人である原告の個人情報と同視することができるものというべきである。

三  本件作文の性質

(一)  括弧内に掲記した証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 平成三年九月一日、本件事件が発生した後、原告とつくし野中学校側との間で、本件事件前の亡花子の様子、言動等について意見の交換が行われた。同月四日、亡花子が生前に交際をしていたつくし野中学校二学年の生徒三名の話から、原告は、亡花子が右三名を含む友人間のトラブルを原因としていじめにあっていたことを疑うに至り、同月五日、つくし野中学校の島田校長にもいじめの可能性を指摘して調査を依頼し、同月六日、他の生徒からつくし野中学校の状況を聴取して、つくし野中学校のいじめ対策に問題があったのではないかと感ずるに至った。そして、同月七日、原告方を来訪した校長、教頭他四名の教諭との話合いの場において、つくし野中学校側は生徒達からの事情聴取の結果に基づきいじめがあったとは断定しないとする意見であったのに対して、原告は、いじめの存在を強く指摘し、調査を求めた(甲五二号証、島田証言、冨岡証言、岡田証言)。

なお、右の七日の話合いにおいて、つくし野中学校側が、事実調査のために作文を書かせる旨の提案、約束をしたか否かについては争いがある。

(2) 本件事件については、マスコミの注目するところとなり、平成三年九月二日に報道関係者が学校を訪れ、その後も学校周辺での取材活動等が行われ、同月一一日以降は報道関係者が学校取材に訪れた(甲八九号証の一、一〇、一一、島田証言)。

(3) 平成三年九月一〇日、二学年の学年会において、二学年生徒に作文を書かせることが決められ(島田証言、冨岡証言)、翌一一日、第一校時に二学年の学年集会を行い、ここで、冨岡利秋教諭が、友人の死を厳粛に受け止め、何を考えるべきか、あるいは生命の大切さといったことについて話をし、第二校時の学活の時間に二学年生徒の作文が行われた(甲八九号証の一〇、冨岡証言)。

なお、作文の主題の示し方については予め統一されることはなく、各組の担当教諭の判断に委ねられた。その結果、作文の主題として、亡花子のことで見聞した事実あるいは亡花子の死について知っていることを書くようにとの指示をした組もあれば、亡花子の死を契機に生命の大切さについて書くようにとの指示をした組もあれば、両者の趣旨と解される指示をした組もあった(冨岡証言)。また、作文を指示するに当たり、「誰にも言わない」「誰にも見せない」旨を付言した組もあった(岡田証言)。

(4) 平成三年九月一七日のテレビ放映において本件事件が取り上げられ、いじめを原因とする自殺との見解が取り沙汰されるようになった(島田証言)。

そして、同月一八日には一学年生徒について、同月二一日には三学年生徒について、それぞれ学年集会の後に作文を書かせた。なお、この際も、作文の主題について統一的な取決めはなく、亡花子の自殺について、人の生死について、テレビ報道についてといった本件事件を契機とした作文を書かせたことが推認され(川上証言、北村証言)、記名の要否についても取決めはなく、各組の担当教諭の判断に委ねられ、記名を期待する旨の取扱をした組以外は記名率は〇パーセントから七〇パーセントまでの開きがある(乙七号証)。

(5) 本件作文のうち、二学年生徒の作文の一部は同学年の学年通信誌スクラムの平成三年九月後半に発行されたものに掲載され(甲二一ないし二三号証)、あるいは三年E組においては良く書けた作文が道徳等の時間に朗読されたが(川上証言)、本件作文について、個別的な文章指導又は内容に関する指導がされたとは認められない。

なお、右スクラムに登載された作文は、亡花子の死の厳粛さと生きることの決意表明を中心主題とするものであって、具体的な事実に関するものではない。

(6) いじめ対策としての事実確認の重要さは、教育者の間では当然のこととされており(甲一六号証)、また、生徒指導の過程で書くことの重要さは、生徒自らの行動の整理、内省を深め、自戒を進めさせ、情緒的認識を客観化し知性に高める方法として推奨されていた(甲一七号証)。また、平成五年には、福岡県内の市で、いじめの事実の調査のために生徒に作文を書かせ、これによって事実確認をした例がある(甲一八、一九号証)。

(二)  右事実経過に照らすと、二学年生徒の作文は、原告からいじめの事実の調査が要請されていた時期に行われており、さらに、平成三年九月一一日には、生徒からの聞取調査の範囲を目撃者へ広げることとして、亡花子に関する情報収集が生徒からも始められたこと(甲三〇号証、岡田証言)、つくし野中学校の教諭の中には事実調査のために作文を書かせることを提唱した者もいたこと(島田証言、岡田証言)、原告は審査請求時から一貫して事実調査のための作文について言及した教師の存在を主張していること(甲三六号証、五二号証、一〇八号証)からすると、平成三年九月七日の原告と学校関係者との話合いで作文による事実調査が確約されたことを認めるには足りないが、かかる調査を話題にした者がおり、原告がこれを期待したことが窺えるのであり、そして、前記(一)(3)のとおり、各組における本件作文の主題設定には生徒の見聞した事実記載を求める趣旨と解されるものもあったことからすると、作文の一部には事実調査の趣旨に対応したものも存することが推認される。もっとも、学校側が情報収集のために作文を書かせていると認識した生徒でも、自らが見聞したいじめを連想させる事実を記載したことの記憶はないことに照らすと、ことさら事実調査のみを目的として作文を書かせたと認めることはできない。なお、前記(一)(5)記載のとおり、本件作文を書かせた後に個別的な文章指導又は内容に関する指導がされたとは認められないが、生徒指導としての作文は、生徒の内心の情緒的な認識を文章として客観化させることに最大の目的があるから、生徒の心情を理解する資料として利用し、生徒が事態に対する客観的理解に達したと解された後に、教師として作文について感想を総括することが生活指導上有益かどうかはさておき、個別の生活指導がなかったが故に、本件作文の目的が事実調査にあったとすることはできない。

ところで、本件作文中に存在すると推測される事実記載について検討するに、事実記載の性質としては、具体的作文の中で明確な区分をすることは困難であるとしても、教師と生徒の間で既に知れている事実のほか、生徒間のみで知られ、教師には知られていない秘密の暴露及び反省すべき行為を行った者の告白が想定されるところ、秘密の暴露及び告白等は本来、秘密性が維持されることを前提としているものというべきであり、また、作成者においてその情報の確実性に対する責任を負うものでもないから、当該情報が学校の教育現場でなされたものであるとすれば、当該情報が事実調査の端緒とされ、あるいは教育担当者の教育的判断によって当該情報から得られた事実が公表されることはあっても、当該情報そのものが教育関係者以外の者に開示されその内容の真否が問題とされることは予定されていないものというべきである。したがって、事実調査のための作文であっても、訴訟資料としての陳述書等、公開の法廷での陳述に代わるものとして、あるいはそれを補完するものとして作成される文書とは全く性質を異にするのであって、事実調査のための作文であるが故に、当然に公開が予定され、あるいは関係者への開示が予定されたものということはできない。

また、既に認定したところからすれば、本件作文の中心的主題は、亡花子の自殺を契機に人間の生死、自己の生命の大切さと他人への配慮を思索させることにあったものということができるのであって、亡花子を知っていた友人にとっては亡花子への追悼の思いがあることは当然であるとしても、遺族の慰藉のための追悼文として作成されたものでないことは明らかである。

なお、既に検討したとおり、生徒の思索、事実認識、事実評価の総合物である作文は当該生徒の個人情報としての側面を有すること、そして、かかる個人情報は当該個人に属すべきことからすると、作成者の意思と無関係に廃棄することの当否は問題となるところである(もっとも、甲九一号証によれば、生徒指導としての作文については、従前から返却されない例があったとのことであるから、返却されないことに黙示的な了解があったとも考えられる。)。そして、このことは、著作物の焼却を当然の如く主張しながら、他方で生徒の著作権を開示許否の理由とする被告主張の論理的不整合を指摘する理由となるものということはできる。しかし、作文を焼却したことは、物としての作文を消滅させることにより、情報内容も廃棄する行為であり、その当否が問題となることは右に説示したところであるが、開示することとは全く異なる行為であり、既に検討した本件作文の作成経過に照らせば、仮に無断で廃棄することが不当であったとしても、開示することが作成者の意図に沿うものとはいえないのである。

無記名の作文に関しては、無記名の趣旨が個人として作文の内容に対する責任を負わないことにあるとすれば、事実情報として開示され、その内容が検討、確認の対象とされることも、作成者の意図に反するものというべきである。また、無記名の趣旨が、告白、内密の事実の暴露あるいは真摯な心情の吐露を容易ならしめることにあるとすれば、作文自体で作成者が判明しないとしても、かかる無記名作文を開示することは作成者の意図を裏切るものというべきである。

(三)  右に検討したところによれば、本件作文は、公開、開示を予定したものではなく、学校教育における生活指導の資料として利用されることがあり得るとしても、公開する情報の範囲、公開の方法、公開の時期等は、教師の教育的配慮に委ねられており、公開の範囲、方法、時期等が不適切であるがために作文の作成者の意図に反し、あるいは作成者に不利益を与える場合には、教育者としての責任が問われることとなるのであり、かかる教育上の責任において学年通信誌等への掲載、クラス内での朗読が行われているのであって、学年通信誌への掲載が本件作文を公開すべきことの理由となるものではない。したがって、本件作文について、亡花子に関する部分を原告に開示することは、文書の作成の趣旨及び作成者の一般的意図に反し、この開示をしたときは教師と生徒との信頼関係を損なうことは明らかというべきである。

なお、証言によれば、同人らは、作文の作成者として、亡花子の両親への開示を当然と認識していることが認められ、このような見解の者が他にも存在することは充分に推測することができる。しかし、この点も、本件作文の性質、作成の趣旨について一般的に認定説示したところを覆すものではないのである。そして、原告への開示に同意する者の作文を個別的に開示することは、つくし野中学校における教師の教育的配慮として妥当な措置であるということができるとしても、本件条例に基づくものではなく、本件条例が認める個人情報開示請求権の内容として、学校に対して、作文の開示に関する作成者の同意の有無を確認することを求める請求権がある訳でもないのである。

教師の教育的配慮と責任における作文の公開、開示という点については、次に認定するとおり、原告がつくし野中学校に対して不信を抱くことを相当とするような事情があり、教師の教育的配慮自体に対して原告として不信感を抱いていることは想像に難くないが、このことは適切な教育的配慮を求める理由とはなっても、個別的な教育的配慮を排して作文の公開、開示をすべきことの理由とはならないのである。

そして、本訴においては、本件作文中の情報が二号情報又は三号情報に該当するか否かが問題であるところ、二号情報にいう「個人の評価、診断、判定、指導、相談、選考等に関するもの」とは請求者個人に関する評価等情報であるところ、既に検討したところによれば、本件作文中に原告の個人情報と同視すべき亡花子に関する事実情報が含まれていたとしても、それを評価、診断、判定、指導、相談、選考等に関するものということはできない。しかし、既に認定説示した本件作文の作成目的、作成意図等に照らすと、これを開示したときには、生活指導としての作文において、生徒として認識、評価した事実が当該個人の認識、評価を超えて客観的事実情報として取り扱われることになるから、その結果として、本件作文と同様の生活指導としての作文において、自由な認識、評価を記載することが抑制され、又は赤裸々な心情の吐露、真摯な内省等を期待し得なくなることは明らかである。したがって、この場合には作文による生活指導そのものの効果が阻害されることになるから、本件作文中に原告の個人情報と同視すべき亡花子に関する事実情報があるとしても、それは、三号情報に該当するものというべきである。

四  本件第二作文の存否について

(一)  乙八号証の一ないし七、九号証の一ないし七によれば、一学年及び三学年の生徒の作文については、別紙「作文処分一覧表」記載のとおりの措置が採られたことが認められる。

また、甲五号証、乙三号証及び岡部証言によれば、本件作文を作成した三学年の生徒数は、三年D組が三四名、三年F組が三六名であり、三学年生徒の在籍数は二九二名で、三年E組を除く作文提出数は二五一通であったことが認められる。

(二)  この点につき、原告は、別紙「作文処分一覧表」記載のとおりの被告主張は措信できないとして、作文の存否に関するつくし野中学校及び被告の主張の変遷及び不誠実さを指摘する。

たしかに、既に摘示した事実関係によれば、本件開示請求書が開示対象文書を二学年に限定していないこと、本件決定が本件作文を対象とすることは明らかである。また、括弧内に掲記した証拠によれば、① 平成四年四月二八日には、星校長から岡部市教委指導室長に対して、一学年及び三学年の作文はそれぞれ返却した旨が告げられ(岡部証言)、② 遅くとも平成四年六月二日には本件作文全体が開示対象であることが明らかとなり、星校長が一学年及び三学年の生徒の作文の調査を指示した後である同年六月二〇日ころ、つくし野中学校は市教委に対して、一年D組及び三年全組の生徒の作文は平成三年一〇月半ばに廃棄し、一学年のその余の組の生徒の作文は平成四年三月二四日又は二五日に返却した旨及び三学年の作文提出数は二九〇通と報告し(甲五号証、星証言)、③ 原告の妻の問い合わせから三年E組の生徒の作文を担任教師が保管していることが平成四年八月一三日に判明するや(甲六三号証、川上証言)、つくし野中学校は、三年E組の作文は存在し、その余の一学年及び三学年生徒の作文の取扱い並びに三学年生徒の作文提出数は従前の報告どおりである旨の報告書を同年八月二七日付けで作成して市教委に提出し(甲九八号証)、④ 本訴提起後の平成五年五月七日に至って、別紙「作文処分一覧表」記載のとおり主張するに至ったこと(甲七号証)、⑤ 平成四年一月九日には職員会議において、「情報公開の作文はどうなっていくのか。学期末返却はどうすべきか」が話題となっていること(甲七七号証、北村証言)、⑥ 三学年の在籍者数及び作文の通数についても、③の直後の平成四年九月四日に至って市教委を経て審査会へ二名の不在を報告していること(乙三号証、甲五八号証、岡部証言)、⑦ 星校長が二学年生徒の作文のみが開示請求の対象であると認識していたと主張し、かつ、本件第二作文の大半が返却、焼却される直前の時期に、二学年担当教師のみならずつくし野中学校の教師三九名の連名により審査会に対して作文未提出での審査を求める旨の平成四年三月二四日付け要望書が作成されていること(甲四一号証)、⑧ 星校長としては、一学年及び三学年の生徒の作文が存在せず、かつ、開示対象文書が本件作文全体であるとの認識を有するに至った平成四年六月三日付けで、開示対象文書の一部不存在を明示することなく審査会に対して「非開示」の答申を求める要望書を提出していること(甲四六号証)が認められるのである。

別紙

作文処分一覧表

第一学年

クラス名

作文数

処分形態

処分時期

A組

三七

返却

平成四年三月二四日又は二五日

B組

三五

同右

同右

C組

三八

同右

同右

D組

三九

焼却

平成四年三月三一日

E組

三六

返却

平成四年三月二四日又は二五日

F組

三七

同右

同右

G組

三七

同右

同右

第三学年

クラス名

作文数

処分形態

処分時期

A組

三七

焼却

平成四年三月

B組

三七

同右

平成四年三月卒業式終了後二五日以前

C組

三四

同右

同右

D組

三四

同右

平成三年一二月冬季休業中

F組

三六

同右

作文を書かせて間もない時期

G組

三六

同右

平成四年三月二四日又は二五日

H組

三七

同右

平成四年三月三〇日

そして、右の経過に照らせば、つくし野中学校は、作文の通数又は在籍数について各担任教師に対して確認することも、作文そのものに当たって調査をすることもなく、原告及び市教委に対応していたものと推認される上、被告主張のとおり、つくし野中学校長が開示対象文書の範囲を誤解し、この誤解に基づく対応を隠蔽するために焼却時期について虚偽の報告をしたものとすれば、つくし野中学校の本件開示請求に対する対応は極めて不誠実なものであり、その調査も真摯さを欠いたものであったと評されてもやむを得ないというべきである。したがって、原告が被告の主張になお疑惑を払拭しきれないとする気持ちも充分に理解できるものである。しかし、本訴提起後の主張は本訴提起後の平成五年末から平成六年一月にかけて各教師について調査した結果に基づくものであり(乙八、九号証の各一ないし七)、返却した作文については、これが虚偽であるとするならば当時の生徒への確認等によって容易に反証が可能であること、焼却したとする組の作文は無記名によることを許容して作成され、あるいは無記名の作文を含んでいたので(乙七号証)、返却することなく焼却されたというのであるから、そのうちの記名作文の取扱の当否はさておき、焼却の事実そのものを虚偽ということはできず、原告が具体的に示唆したいじめの事実が亡花子の同学年生徒によるものであったことからすると、本件開示請求前に原告が調査を依頼した事実関係が二学年生徒に関するものと考えたこと自体を虚偽とすることはできず、また、本件開示請求の対象が二学年生徒の作文であると誤解した島田校長の判断及びこれを継承した星校長の認識(なお、平成四年一月九日職員会議での「情報公開の作文はどうなっていくのか。学期末返却はどうすべきか」との教師の発言も、右誤解、認識と矛盾するものではない。)が軽率であったとしても、右判断及び認識を虚偽であったということはできないから、結局、前記事実を覆すには足りないというべきである。

なお、原告は二学年生徒の作文の通数についても、出席しながら作文を提出しなかったとする一一名(甲六号証資料4)について疑問を提起するが(平成九年三月一一日付け原告準備書面第二、二、甲一〇八号証)、右通数そのものに虚偽があることを窺わせるに足りる証拠はない。

(三)  右によれば、本件決定は、概括的に本件作文を対象としたものであるが、決定当時において第三学年F組生徒の作文は存在せず、その余の本件第二作文は、その後に返却、焼却されたものということになる。

したがって、第三学年F組生徒の作文に対する本件決定は、処分の対象を欠くものであって、その効力を生ずる余地はないが、本訴請求は、本件決定を取り消し、本件作文の開示を求めること、すなわち原告の開示請求権に係る利益の回復を求めるものであるところ、右によれば、本件第二作文は既に被告が保管するものではないから、仮に本件第二作文については非開示の理由がないとしても、本件第二作文に係る本件決定を取り消すことによって、本件第二作文を開示する余地はないので、原告にはその取消しを求める利益はないということになる。

なお、本件決定においては本件作文の二号情報及び三号情報への該当性が非開示の理由とされ、三学年F組生徒の作文の不存在は非開示の理由とされていないが、右に説示した訴えの利益の不存在は、口頭弁論の終結時において開示対象文書が存在しないことによるものであるから、右作文の不存在を記載しない本件決定の理由付記が不適切であったとしても、そのことから訴えの利益が肯定されるものではない。また、本件訴訟の対象は非開示事由該当性の存否にあるから、開示請求の対象とされた文書を廃棄、返却したというつくし野中学校の対応が違法、不当であったとしても、その違法性が本件決定の違法事由となるものではなく、また、右違法、不当を主張するために本件決定の取消しが必要となるものでもない。

原告の引用する最高裁判所の判例(平成元年二月一七日第二小法廷判決・民集四三巻二号五六頁、平成四年一月二四日第二小法廷判決・民集四六巻一号五四頁、平成四年一二月一〇日第一小法廷判決・判例時報一四五三号一一六頁)は、狭義の原告適格に関するものか、法的に原状回復の可能性があるものか、あるいは理由付記が必要とされている処分について理由の不備が処分の違法事由となることを指摘するものであって、いずれも狭義の訴えの利益の存否について引用するには適切でない。

五  よって、本件決定のうち本件第二作文に係る部分の訴えを却下し、本件第一作文に係る部分の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官富越和厚 裁判官竹野下喜彦は退官につき、裁判官岡田幸人は転補につき、それぞれ署名押印することができない。裁判長裁判官富越和厚)

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